我が故郷 兵庫県

 北は日本海、南は瀬戸内海の2つの海に接している南北に長い県域を持ち、近畿地方の府県で最大の面積を持つ県が兵庫県になります。




そのほぼ中央を日本標準時子午線(東経135度)が南北に通過し、明石市にはこれに因む明石市立天文科学館があります。

南部の瀬戸内海沿岸は阪神工業地帯や播磨臨海工業地帯といった日本有数の重化学工業の集積地で、近畿圏最多の工場立地数となっています。
一方で、中部から北部にかけては農林水産業が主な産業であり、過疎地や豪雪地帯も抱え、これら過密と過疎を平均した県単位の産業活動指数は全国平均であることから、日本の縮図と言われています。
また、南東部の阪神間はベッドタウンとしての性質があり、神戸市(国内の大都市人口6位)と阪神地方で全人口の約6割を占めています。
(兵庫県の人口は国内7位。兵庫県の人口密度は国内8位)


兵庫県が輩出した明治大学OB

1941年2月12日、兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)で、植村藤治郎・梅夫妻の末っ子として生まれる。実家は農家。藤治郎の3代前の「植村直助」から「直」の字を取り、干支の巳と合わせて「直巳」と名付けられたが、町役場の戸籍担当職員の誤字により戸籍名は「直已」として登録された[1]。のち、大学時代から「巳(へび)より己(おのれ)の方が格好良い」ということで「直己」を名乗るようになった[1]。

少年期より同郷の加藤文太郎(浜坂町(現在の新温泉町)出身)に憧れ、学校行事で登った蘇武岳を皮切りに但馬の嶺々への山行を始める。兵庫県立豊岡高等学校卒業後、豊岡市の新日本運輸(現在は廃業)に就職。翌1960年に明治大学農学部農産製造学科に入学、山岳部へ入部してからは登山に没頭。同じ明治大学山岳部の小林正尚のアラスカ旅行で氷河を見て来た話を聞いて、海外の山へ憧憬を抱くようになる。

1984年4月19日、国民栄誉賞を受賞。


阿久 悠(あく ゆう(AKU YUU)、1937年2月7日 - 2007年8月1日)は、日本の放送作家、詩人、作詞家、小説家。本名、深田 公之(ふかだ ひろゆき)。淡路島(兵庫県津名郡鮎原村、現:洲本市五色町鮎原)出身。第2回横溝正史ミステリ大賞、第45回菊池寛賞受賞。紫綬褒章、旭日小綬章受章。
明治大学文学部卒業